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コスモス会は、五井先生提唱の「世界平和の祈り」を実践しているグループです


世界人類が平和でありますように

 早春法話 祈りこそすべて   尾崎元海



 肉体人間は皆凡夫です

 人間というのは、肉体の側から見てみると、特殊な人を除いて皆凡夫なんです。
どうしてかと言うと、台風が(自分が住んでいる)関西地方へ来ずに、九州や大陸の方へ行くと、ほっとする。あるいは、大きな地震が外国であっても、多少は心配するけれども、日本のしかも近い所で起こった小さな地震の方が心配の度合いが強いのです。又、近所の子供が大病したと聞いても、自分の子供が三十八度の熱が出ることの方が心配になる。赤ちゃんを見てもそうですよ。多少鼻が低くても、顔が丸くても、やっぱり自分の子供が一番かわいく思えるのです。
 そんなことはありませんか!私は正直に自分の心を見ていて、全くその通りだなと思います。これは全くの凡夫ですよ。だからこそ、慈愛なる守護霊さま、守護神さまがピタッとひっついて守っておられるのです。肉体人間だけでは完全円満な姿を現せないんです。
 ここが大事な所ですから、よく考えてください。守護霊守護神さまというのは、肉体人間の在り方を良くご存知なのです。肉体側がどのように動けば、神様のみ心に沿っていけるか(天命完うの道)を全て知っておられるのです。
 それじゃ、一切合切お任せしていけばいい・・・・・・それが、「我が天命を完うせしめ給え」の祈りであり、たゆみない感謝行ということになるのです。あらゆることをお見通しの御方(守護の神霊)に自己の運命を委ねていくんです。最高の運命の方向に導いてもらうのが一番いいでしょう。
 最高の在り方って何でしょう。自分さえ儲かればいいというのは、あまり高度じゃありませんね。自分も他も真の幸せの境地にある、というのが最高です。これは、世界が完全な平和を達成することと同じです。それと、自他が神様の生命を限りなく現し、お互いが大調和して生きるということです。
 そういう素晴らしい人となる最善の方法があるんです。これは本当にありがたいことですよ。すでに60年前から五井先生が提唱されている、「世界人類が平和でありますように」の人類救済の大光明です。世界の平和、日本の平和を祈る心、私たちの天命完うを祈る心こそ、人間にとって、これ以上ない至高の姿であることは間違いありませんね。
  今話したことを根本にして、少しづつ祈り心を深めていけばいいのです。何も難しくありませんよ。こんな易しいことはない。小智才覚を巡らせて、ああでもない、こうでもないとやる方が、どれだけ大変かわからない。

 消えてゆく姿の真理

 
 人間は誰も彼も、元々大生命から発した個性的光(神の分生命(わけいのち)、神の子)なんです。本来は救われるも救われないもない、絶対大丈夫な尊い存在者≠ネのです。ところが、過去世から今日までに作った業想念波動(神仏のみ心から離れた全ての感情想念)が幽体から肉体に出てきているので、本来の光である自己がわからなくなったんですね。
 そこで、五井先生がお説きになったように、全ての感情や諸々(もろもろ)の想念を消えてゆく姿と思い定めて、本心(神我)、大神様の中へ、「世界平和の祈り」と共に入れきってしまうのです。無限光の大光明の中に入れば、有限のものは浄められてしまいます。いくら出てきても、無限の大慈愛の中に入っていれば、どんどん消え去り、代わりに、神様の無限の生命、智慧、愛、美、調和、富の光を頂くわけです。
 これは得ですよね。闇を投げ入れれば光を頂戴するわけですから、こんないいことはありません。これは、やらなきゃ損ですよ。そうしていけば、「世界平和の祈り」の大光明で潜在意識(幽体)が浄まってきて、だんだん自信が湧いてくるんですね。
 ああ、私は世界平和を作り出す貴い仕事をしているんだな≠ニ思えてきて、悠々としてくるんです。あまり慌てなくなり、恐がらなくなってきます。少しぐらい恐怖の想いが出ても、「これで過去世の業が浄まって、ますます私は強くなったんだ」と勇気が満ちてくる。病気をしてもあまり心配しなくなる。定命(じょうみょう)以外、死ぬことはないんだから、何も恐れることはありませんからね。
 消えてゆく姿≠ニいうのは、本来、神様と等しき自分なんだから、不調和なものは何ひとつない、全て幽体に潜んでいた過去世の業が消え去ろうとしているだけなんだ、と神の生命のみ自己であるという、徹底した光明思想なんですよ。肉体上に不調和が感じられるというのは、溜まっていた業が大きく消えようとしている姿なのだから、本当は怖がることじゃない……守護神さまが光を当てて業をすっかり浄めて、中にある生命の完全な力を現そうとしておられるんですよ。だから、反対に喜ぶのが本当なんです。
 例えて言えば、便秘をした時は、お腹が張って苦しいですよね。しばらくすると、下痢をして中の物が出てしまいますでしょう。下痢の途中は苦しいけれども、あとはスッキリして、中から生命のリズムが活性化するんです。
 それと、皆すべて同じだと考えていいんです。煩悩即菩提です。悩み苦しむ想いの底に本心(神我)の光が厳然と存在しているのだから、何事も腹を据えて生きることですね。


(風韻誌2005年3月号掲載分より抜粋)


   元海先生法話

  1. 講話集
  2. 巻頭言
  3. コスモス問答
  4. 音声