好きということ
「好きこそ物の上手なれ」とゆう言葉があるんやけど、確かに、この心でおったら、どんなことをやったとしても立派な仕事になるんやろなあ。好きという「好」の字というのは、甲骨文字では女(母親)が子供を抱く形になってるんやけど、これは、母親が幼児をかわいがるという意味やわなあ。幼い子を大事にする気持ちやから、ただ無心に愛する心やわね。
こういう心で仕事をしていたら、いくらでも智慧が出てくるんやけどな。物事をやってて、ええ考えが出てこんのは、何かしら計算をしてるんやね。他の人からどう思われるかとか、こんなんでお金が儲かるやろかとか、まあ色んなことを作為してやるんやな。
この「好」という字は、姿が美しいとゆう意味もあるんやけど、これは、その仕事から生まれる結果が美しいゆうことやわね。世の中には、これと逆な生き方をしてて、ほんの一時、上手いこといってるように見える人もいるわね。そんなんでは、ほんまに人のためにお役に立つ仕事はでけへんと思うよ。人間のほんとの幸せ感とゆうのは、奥にある創造的智慧と愛と真の心をどれだけ外に出すかに掛かってるからね。
とにかく、自他が共に喜びを分かちあえるという姿勢が第一やわな。そういう気持ちで生きてたら、周りの人と比較せんようになって、只々、内なる力を限りなく現すことに生き甲斐を感じるようになるんですよ。好きとゆう言葉はよう使うけど、本来の「好」とゆう意味をよう考えていかんと、つまらん人生になるよってね。どうせ生きるんやから、大きな広い心で生きていかんと、面白うないわな。
(風韻誌2006年2月号掲載)
|
|