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コスモス会は、五井先生提唱の「世界平和の祈り」を実践しているグループです


世界人類が平和でありますように

 相対の世界を超えた平和運動@   尾崎晃久



 原発のことに関して

 以前、あるメンバーの方が、六月の法話会の感想の中で、「今私の友達の中で『原発を反対していこう』という動きが高まってきて、イベントなどを大々的にして、自分の中でも揺らいでしまうものがあったのですが、お話を聞かせて頂き、日常そのままに置かれた環境で世界平和の祈りをしていることが、世界の平和を決定しているのを信じるか信じないかは、この私にかかっているのだと気付かせて頂きました」と書いておられました。
 今、原発の問題は、国民の一番の関心事であります。日本は唯一の被爆国であり、核兵器の廃絶を世界に一貫して訴えてきましたが、原発に関しては容認してきた面もありました。原子力という力を大勢の人を殺傷する核兵器という形で利用するのが悪いのであり、反対に、原発などに平和利用すれば、人類社会の幸福に寄与するのだという考えもありました。これまでも事故があり、その危険性が指摘されてきましたが、国民に被害が及ぶような大事故は起こらないだろう、大丈夫だ、安全に違いない、と多くの人が思ってきました。
 それが、今回の福島の事故で、いくら平和利用といっても、原子力というものを完全にコントロールするのは難しく、何かあると人間の生活に大きなマイナス影響を与えてしまうものであるということが、はっきりしてきたわけです。
 この方のご友人がどういう活動をされているかは知りませんが、今原発の反対運動は様々な形で起こっています。原発政策の見直しを訴え、日本の未来のことを真剣に考え、原発に代わるエネルギーにどういうものがあるかといったことを考えていくことは、意義のあることだと思います。
 ただ、これは何も原発の反対運動に限ったことではないのですが、何かに反対し抗議していくという活動を熱心にやっていますと、知らず知らずのうちに、相対的な対立の波の中に入っていってしまうことがあります。
 例えば、「原発反対、反対!」と、あまり熱心に反対運動をやっていますと、この世の中は相対の世界なので、原発を容認する立場の人もいますし、必ず敵対する相手というのが現われてきてしまうわけです。そこで、自分達と対立する立場の相手を、悪いと言って感情的に責め立てていく、非難していく形になってしまうことが、往々にしてあります。
 たとえ、自分が正しくて、相手が間違っていようが、怒りをぶつけたり非難したりということは、神様の大調和の御心からは外れた事であり、相対的な業の波の世界の渦に巻き込まれていってしまうことになると思います。
 私達はせっかく世界平和の祈りをして、業の世界を抜けて神様の大光明の中に入っているのですから、また不調和の波の中に入って、その波と同化してしまうようなことはないように、気を付けないといけないと思います。あくまでも、自分は神様の光の中に入っていなければいけない。神様の中から行動し、神様の中から言うべきことを言っていかなければいけないと思います。
 他を非難するのではなく、悪いと思えることは消えてゆく姿と想って、世界平和の祈りを祈って、人間の想いの世界を浄めていくことを、私達は実行しています。人類の業の波が浄まってゆきさえすれば、あらゆる面において、自然に神様の御心が現れ、調和した方向へ進むのは間違いありません。
 原発の問題でも、神様は先の先まで見通されていて、ちゃんと良き方向へ行くことは決まっておりますから、大変だ、どうしよう、何とかしなければ、と不安に駆られるのではなくて、全ては神様の御心のままに為されていくことを信じて、私達はこれからも世界平和の祈りを祈り続けて参りたいと思います。他の人が何をされようが、その人達は信念を持ってやっておられるのでしょうから、それをとやかく言う必要はありませんが、自分は祈りに対する確信を深めるだけだと思います。(後半に続く)

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