Q
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私達がある場所を思うと、そこの波の影響を受けるとお聞きしたのですが、それとは反対に、神様をいつも思っていると、神様の世界に自分は居るということになるのでしょうか。
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回答
人間は何かを思い、または意識して生きてますよね。例えば、あるデパートでバーゲンをやってて、明日行こうと思っていたとすると、行こうと思った瞬間、その場所に渦巻いている波動が自分のところへ寄ってくるんですよ。思いかたの程度によりますけど、「あの品物があるだろうか、先に他の人に買われていたらどうしよう」と色々意識していると、うんと雑多な波が来ますからね。私なんか、そんなことを思ってたら、行く前にしんどくなるから、そんなことはやりません。
ところが、不用意にそうする人が多いんですね。この世の中というのは、その場所、その人特有の波がありますから、そういうものに同調したらいけないんです。それが、浄まった場所や高い心境の人だったらいいですけど、そういうことは少ないですからね。
そこで、どんな想念が出ても、五井先生の中へその想いを入れるんです。想いのまま動くんではなくて、「五井先生ありがとうございます」と、光の中へ戻ればいい。そうしていると、色んな波が寄ってこないし、代わりに光の波が入ってくるから楽でしょう。誰かに電話をしようと思う、あるいは会う約束をする
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その時でも、いきなりその想いのまま動くんではなくて、五井先生の中へ入ってから行動すれば、相手に神様の光が流れていくわけです。そういう何気ないことに注意を払っていかないといけませんね。
二番目の質問で、「神様のことを思っていると、神様の中に自分は居るか」ということですが、皆さんのように、「世界平和の祈り」をしている人は、祈っている時、神界に居ることは間違いないですね。それじゃ、「祈っていない時はどうなのか」ということですね。祈りの響きがその人を通して鳴り響いてはいるんですが、その時に出てくる想いが、習慣性の想念か守護霊様のみ心なのか判断できませんから、何かの想いが出たら直ぐに「五井先生」と、光の中へ入って、そこから出る考えで動くんです。そこで、いつも守護霊様に感謝していることが大事なんですね。
それと、「我が天命が完うされますように」と守護霊様守護神様に祈ることです。「天命が完うされますように」というのは、「自己となって現われている神様の全能力が益々現われますように」ということでしょう。こういうようにやっていれば、その人は常に光の世界、神様の世界に居るということですから、神智を受けて動けるようになってくるわけです。
(風韻誌2007年3月号掲載)