本文へスキップ

コスモス会は、五井先生提唱の「世界平和の祈り」を実践しているグループです


世界人類が平和でありますように

 南天法話 雄大なる人生を生きる   尾崎元海



 公平な心で見る

 この世の全ての出来事は、人類の過去世からの業因(ごういん)の消えてゆく姿なのですが、かと言って今目の前に起こっている状態を無視してしまうと、多くの人々を救いの世界に導き上げることは出来ません。
 昨今大きな問題になっている北朝鮮の動向は、韓国、アメリカ、中国、日本も含めて、どういう対応が最善であるのか、どうしたら朝鮮半島を含む東アジアが調和した方向に進むのか、ということを深く考えざるを得ない状況にあります。この問題とは別に、沖縄の米軍基地移転の話が少し前から大きく取り上げられていますが、中国の潜水艦が沖縄近海を我が物顔に行き来する現状の中で、日本はどういう判断をすれば、国の平和と安全が保たれるのでしょうか。政治家や有識者が色々な意見を出していますが、何(いず)れもが、あの国がこういう方向に行かないから式の観点からの考えなんですね。又、世界全体を見渡しても、アフガニスタンやイラクやイランの問題などを含め、様々な課題が出ているわけです。
 それらの政情不安とは別に、地球環境の問題、人口増加に伴う食糧や水の奪い合い、新しい病気の流行、核兵器の拡散などを考えただけでも、百年後の日本や世界は果たして大丈夫なのかと思う人が多いと思います。目を転じて日本の国内を眺めると、大学生の就職難や若者の低収入からくる結婚出来ない人達の増加や、未来への展望が持てない人々が多数いるという実状、少子高齢化からくる国家の行く末など、課題は個人、国民全体も含めて枚挙にいとまがない実状なんですね。
 そういう様相と同時に、科学技術の急速な進歩は日に日にスピードアップしているわけです。そのように、これまでの古い形式や価値観が大きく変化し、どこまで進むのかと思うほど一日一日前へ進んでいっていますよね。当然のことながら、個人の病気や経済的困難や対人関係の悩みとなると、多くの人々が抱えているわけです。
 ここまで取り上げた問題は肉体世界での事柄ですが、「世界平和の祈り」の道を実践している人でも、消えてゆく姿的な現象や、肉体頭脳を経巡る様々な感情想念に把われることが多々あると思います。中には私は現象の動きに把われないし、本格的な神性顕現(しんせいけんげん)の道を歩んでいる≠ニ思っている人もいることでしょう。
 そのように、人の在り方というのは実に様々で、一言でこの人は良くて、あの人は低い次元を生きている≠ニ言えるものではありません。人それぞれの過去世の因縁生(いんねんしょう)の分量は全く違いますし、守護の神霊の導きも異なるわけです。法話会での話もそうですが、風韻誌となりますとページ数に限りもありますので、中々伝えたいことを充分に書けないもどかしさがいつもあります。

 魂の飛躍の今を生きている

 
 もうすぐ二〇一一年の新しい年となりますが、人それぞれの状態の違いはあっても、あらゆる人が一段階一段階とレベルを上げて、明るく確信と希望を持って生きていただきたいと念願しているわけです。「消えてゆく姿で世界平和の祈り」の道を実践出来る人にとっては、病気や貧乏や対人関係の不調和というものを、救世の大光明にお返しして浄め去っていただき、神様の無限力を頂き直すということになります。
 ところが人によっては、不治と言われる病や、大変な貧困状態や、過去世の因縁が実に深い人との間柄というものもありまして、直(す)ぐには調和した状態にならない、という人もいるんですね。その苦しみは当事者以外には分からないと思いますが、少し観点を変えて見てみると、実は魂の大飛躍のチャンスにその人は置かれているのが真実なんですね。
 「世界平和の祈り」が深まってきますと、マイナスという問題が表面に出てきても、これは今の私じゃないんだな。過去世の業が大きく消え去って、本体の神様がより大きく現われた≠ニいう強い信念が出てきまして、気持ちが神性のみを大確信するという不退転の境地が生まれてくるわけです。
 諸々の不調和な事柄や感情想念は決してありがたくはありませんが、守護の神霊が過去世の業を小さい形で浄めて下さり、過去世の過(あやま)ちを赦(ゆる)して下さったことがありがたいわけです。同時に内なる神様の完全性を現して下さったことが無常の喜びなんですね。こういう捉え方をしっかりしていくと、その人には神様(守護の神霊)への感謝と、内なる全能者(分霊・直霊)の出現に対する大信念の深まりしかないという、偉大を超えた偉大なる世界がその人のものになってくるわけです。
 ここの所の消えてゆく姿ということですが、表面意識では特別何もないように思えても、潜在意識層には種々多様な想念が潜んでいまして、中でも宗教に関連する癖の想いというのは強固なものですから、焦ることなく全ての感情想念を根こそぎ浄めていただくつもりで、「世界平和の祈り」の中に入っていくことは言うまでもありません。何十年祈っておりましても油断は出来ませんので、地球世界から一切の業波動が浄まり去ってしまうまで、まずは悠々と祈っていきたいものです。

 祈るあなたは光の人
 
 自分が仮に「空(くう)」の心境であったとしても、他の人々の業想念波動を観じたら、直ぐ様、消えてゆく姿として祈りの大光明の中に入っていくんですね。風や雲の自在な流れのようにありたいものですが、一朝一夕にはいきませんので、じっくりと取り組んで進んでいって下さることを願っています。
 それと今回強調しておきたいことは、我が天命を完うする≠ニの大信念を持ち続けるということですね。特にコスモス会の様々な行事に熱心に参加されている皆さんは言うまでもありません。地球世界の業波動が大きく急速に浄まり去っていく今日、地球全体が霊化せんとする時代にあって、「消えてゆく姿で世界平和の祈り」を実践することは即、神性を百パーセント確信するということになります。
 このことはいつも話すことですが、もう一度念を押しておきたいと思います。五井先生が仰しゃっておられたように、この世界(地球世界及び大宇宙の世界)は神様(宇宙大生命)のみが実在しています。変化変滅する物質界や種々な霊的階層は現れであって、実在世界ではありません。その神様が人類救済の大愛の光・救世の大光明として示現(じげん)されたのが、「世界平和の祈り」なんですね。神様は一神即多神ですから、あらゆる神々が総結集された大光明は実在界の無限力ということになります。
 寝ても覚めても「世界平和の祈り」に明け暮れる祈りのメンバーは、正真正銘、完全円満なる無限光を生きているのです。その尊い生き方をする皆さんから新たな業は生まれません。祈りの生活の最中(さなか)にあって頭脳を経巡る感情想念は全て、守護の神霊の慈愛の光が過去世の業を消し去って下さっている姿です。私達は只々神々様に感謝申し上げるだけなんですね。
 もう一度言いますが、無限の大光明たる神様の中には一点の闇も存在しません。無限とは全ての全てであり唯一の力ということを考えれば、「世界平和の祈り」を固く信じて祈り続けている人は、限りない我が天命完うへの道を歩んでいる、ということになります。
 ここまで話しますと、私は神より来(きた)る光明燦然(さんぜん)たるものである。私は守護の神霊、救世の神々様と一体である≠ニ思うことが、何の無理もなく確信出来ると思います。真実なることを素直に認められるように、守護霊・守護神様、五井先生が導いて下さった御蔭で、凡夫の性(さが)のまま神人一如(しんじんいちにょ)の境地に入る世界が自己のものとなったわけで、何とも凄いことですね。
 今申し上げた観点に立って生きる人は、ありがとうございます≠ニいう感謝の心と、これで益々自他共に素晴らしくなってくる≠ニいう光明思想の生き方だけとなってしまいます。その中から更なる高みと広がりの世界へ入っていくわけですが、そこからが真の宗教の道となってくるわけです。もうこれは、大ロマンの世界の旅としか言いようがありません。「世界平和祈るは神のみ心のひびきにあれば祈るたのしさ」という五井先生の道歌の世界はここにあるんですね。

 どの人にも素晴らしいものがある
 
 ここでまだ「世界平和の祈り」に入って間がない人と、これから実践していかんとする人達に対して少し書いてみることにします。これは誰もが実感されていると思いますが、肉体頭脳から出てくる考えでは一難去ってまた一難≠ニいうように、心底安心して生きることが難しいんですね。
 中には若い方や運気が非常に強い人達は、自分は人生に自信がある≠ニ思い込んでいるでしょうが、冷静に自己を見つめれば、周囲の人の業を浄め、世界の調和を生み出すとなると、よほどの自信過剰の人でない限り、自我を主にしていては如何(いかん)ともしがたいことが、実は心の中では分かっていると思います。普通の生き方、これは大多数の宗教信仰者も含みますが、自我想念というのは自分が得か損か≠ニか、自他差別の相対観念から抜け出せない業因縁の物凄い渦巻であって、超人的な意志力を持つ人以外、どうにもならないのです。
 この想念波動というのは善悪混交のものでして、その中には、神より来(きた)る完全なる神智というものは出てこないんですね。又、他の人々の魂を浄め高め上げる光の響きが出てきません。相手の感情をほっとさせるというようなことは出来ますが、因縁生の波を超えた光の波を送ることは無理なんですね。
 人間というのは神様からの自由意志が与えられていますから、各人が自己の生き方を本気で考えていく以外ありません。しかしながら日本のように教育レベルが高く、素晴らしい感性を潜ませている日本人であれば、自他の真の幸せのために、地球世界の真の平和のために生きたい≠ニ思うのではないかと思います。
 現今の人間は死んだら終わりだ≠ニいうような御粗末な世界観・人生観では、大した生き方は出来ません。時代は益々急ピッチで進んでいきますから、今こそ自我想念を主にした自分だけが良ければ≠ニいうような、人間本来無限力を妨げる小さな生き方を卒業しましょう。五井先生が開かれた「消えてゆく姿で世界平和の祈り」と「守護霊・守護神様への感謝全託」の道は、人間を真の自由自在な人へと導き上げる最大の方法なんです。

 学んでいく姿勢をどこまでも
 
 私は自身の二十五歳までのどうにもこうにもならない$ク神状態の世界から、それ以後の真の平安の世界、世界平和を真に創り上げていく喜びの世界、自己の本体である神様の無限大光明との一体感の世界を体験しつつ、更なる高みの世界へと楽しみながら歩んでいます。
 「世界平和の祈り」の道は易しく安全な悟りへの道ですが、一つだけ心得ていただきたいことがあります。それは諦めずに根気よく実践していかんとする学びの精神を持っていくことです。小さい子供でも虫取りや魚取りや様々な事柄を学んでいきますよね。勉強しなくてはならない式の他から言われるようなものではなく、遊び心、楽しんでいく心こそが学びということですね。
 当然ですが、表面的な感情の満足ということではありませんから、間違わないで下さい。自発的に物事を考え決断していくというのは当たり前のことですが、我が内に全能なる力があるという真理を思う時、このことを探究することほど、喜びに満ちたことはありません。私が申します遊び心というのは、このことなんですね。分かり易く言いますと、無邪気な探究心のことで、誰の心の中にもこの要素は備わっているものなんです。
 祈りを知らない人でも、神様の生命によって生かされています。まして一定年数、祈ってこられた方は、小さな失敗を恐れず、心を構えたり衒(てら)うことなく、屈託なく生ききっていくことが大事なんですね。その根本は言うまでもなく、自分(自我想念)が生きているのではなく神様の生命が生きているんだ≠ニ、本来の正常なる状態に気持ちを戻すことですね。
 どのような人も親がいてこの世にいますし、大自然の大きな生命と力によって支えられて無事生きているわけです。人間が高度に進化していくポイントはそれと同じで大いなる絶対力によって存在しているんだ≠ニいうことを、素朴に受け入れていくだけなんですね。
 この道を生きることが、我が天命完うの道なのです。他に依頼することを止め、我が内にある完全無欠なる智慧能力に全てを託し、深く限りなく愛してゆく光の大道を、多くの人達と歩んでいくことほど幸せなことはありません。神は息よりも近い≠ニいうことを真実、体覚して進んで参りましょう。

(風韻誌2011年1月号収録)


   元海先生法話

  1. 講話集
  2. 巻頭言
  3. コスモス問答
  4. 音声