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コスモス会は、五井先生提唱の「世界平和の祈り」を実践しているグループです


世界人類が平和でありますように

 恵風(けいふう)法話 すべては良き方向に進む   尾崎元海



 祈りの道の素晴らしさ

 二〇一二年に入り、いまだに記憶に新しい東日本大震災も、もうすぐ一年になるわけですが、本当に月日の経つのはあっという間ですね。地震の折に起こった福島原発の事故は、今なお日本国民、特に福島県始め周辺の地域に住まわれる人にとっては、現実の問題として不安が相当期間続いていく現状があるわけです。それとは別に、今年に入ってからのマスコミの報道で知られる、四年以内に首都東京でマグニチュード七クラスの地震が起こる確率が七〇パーセントだとの情報や、琉球大学の地震学者の富士山の噴火が近いとの警告に、一般国民は浮き足立っているように見えます。地震に関しては、宮城県沖や房総沖や東海、東南海道、南街道の三連動の大地震の話などがテレビでよく取り上げられていますね。
 又、ここ最近の長引く不況による若者や中高年の就職状況の悪化や、国家財政や年金問題などの長年の政府の無策の露呈(ろてい)、出生率の低下による高齢化の問題は、五十年後の二〇六〇年には人口が八六〇〇万人になり、六十五歳以上が人口の四割に達するということが言われています。そして、中国や韓国、ロシアとの領土問題、北朝鮮のどの方向に暴発するかもしれない不安定な政治状況など、これ以外にも様々な難題と思えることが、日本国民全体に伸(の)し掛かっているんですね。
 今取り上げたことでも中々妙案が浮かばず、仮にあったとしても実行していくことが難儀な状況にあるわけです。日本や世界各国のこれからの動きというものは、幽界波動圏に出ているものが形の世界に映ってくるわけですが、それを予告したとしても何の効果もありませんし、却(かえ)って人々を不安恐怖に陥(おとしい)れてしまいます。
 そういう中にあって、「世界平和の祈り」の真意を知る人達はすべての不調和な出来事を、禍(わざわい)を転じて福となす≠フ通り、消えてゆく姿で世界平和の祈り≠ノよって業想念波動を消すと同時に、本源世界の大調和世界を現し出すということが出来るわけです。即ち幽界波動を浄め、神界の光と愛と大能力を顕現していくわけですから、何事が起こってきても恐れることは全くないんですね。恐れるどころか、反対に大いなる希望を強くもっていくということになるわけですね。

 始めに神ありから出発する

 
 私達は五井先生から真理を教わっていますから、肉体の自分という想いから考えるのではなく、神始めにありき≠ニいう観点から物事に対処していくことが出来ます。日々祈っている祈りは、大救世主が提唱された祈り言(ごと)であり、祈る人のところに神ご自身(神々様)が降りて働くという宣言があってのものですから、絶対なる確信の下に祈り第一の生き方となってくるわけですね。
 昔、逆転の発想という言葉が流行したことがありますが、その中で最も重大なのは、肉体が生きているのではなく、生命が生きているということですね。このことは人体の在り方を思えば、誰もが認めざるを得ないことで、生命が私となって生きているわけです。その生命は宇宙神、大生命と直結しているわけで、人間が神の全栄光を現すという最も偉大なる行為の根本が、この「世界平和の祈り」であるということですね。何事もそうですが、違う角度から物事を見てみると、全体像や良き方向性が見えてくるんですね。
 祈っているという人でも、自分流の物差しがあって、人を判断する場合でも、そこから出てくる考えで善(よ)し悪(あ)しを決めることが多いかも知れません。そういう因縁生の想念から離れて、この人は神様の生命を生きていて、守護の神霊に守られている存在なのだと確信して対応すると、不都合な想いの波は過去世の業の消えてゆく姿であり、その一歩一歩を通して守護の神霊が本心を現していかれていると合点(がてん)がいくわけです。そういう心で対応していると、出るのは相手の天命完うを祈るだけになってくるんですね。その中から、その方の守護霊さんの響きが映ってきて、思いやりとなったり、良きアドヴァイスが自然に出てくるようになるんです。
 例えば、私達は通常、アジア大陸を日本列島から眺めますよね。これでいくと自分達の国の利益でしかアジア各国を見れないんです。大陸から日本列島を見ると逆で、ロシア、中国、韓国、北朝鮮からは、太平洋の大きな海洋資源や海底にある貴重な物質資源を得るためには、日本列島が邪魔なんですね。そこで有史以来、日本を支配したいという想いが潜在的にあるわけです。そういう互いに自国の権益を優先させる業想念波動を超えなければ、国家同士の真の調和ある交流は出来ませんよね。各国の業想念波動を浄めて、その国本来の天命完うの姿が現れなければ、ほんとの平和な繋がりは生まれてきません。
 ところが、表面上だけを見てみると如何(いかん)ともしがたい現状がありますよね。それはそうですね、各国国民とも歴史上の様々な因縁の波の流れにのって動くわけですから、上手く解決の方向に進まないわけです。一つ取り上げれば、朝鮮半島の二国との係わり、中国、ロシアとの関係などを見れば一目瞭然でしょう。ところが私達祈りのメンバーには、すべてを解決してゆく大いなる行法を授かっているんですね。

 五井先生の称名(しょうみょう)を第一にして
 
 「世界人類が平和でありますように。○○国が平和でありますように。○○国の天命が完うされますように。○○国を守る国津神様ありがとうございます。○○国国民の守護霊・守護神様ありがとうございます」との、それぞれの国の神様から与えられている国家としての天命を完うさせる祈りの行(ぎょう)となるわけです。この時、五井先生を深く称名し、五井先生が宣(の)りだされる神事であるとの確信を固く持っていれば、祈りの初心者であっても大(だい)なる成果が現されるわけです。
 この世の生活に大半のエネルギーを使っている一般大衆の在り方を考えれば、五井先生の称名に全託する姿勢で祈る生き方が最も易しいことと、私は信じております。五井先生が仰しゃっておられたように、この世(あの世も含む)の真実は、神様のみが実在しているわけで、その他のものは善かれ悪しかれ過ぎ去ってゆく姿であることは、誰もが分かることですよね。そのように、五井先生の称名を元にした「世界平和の祈り」は、誰であれ光一元の世界に入って生活していくことが容易(たやす)いわけです。人によっては五井先生という称名を根本にというと抵抗があるかもしれませんが、この称名の響きの世界は、その人をより大いなる自由な世界、各人の内奥(ないおう)にある、その人本来の真の個性的光の世界に速やかに入っていく道であることを申し添えておきます。
 それと、五井先生が提唱された「世界平和の祈り」の道を歩む上で注意しなければいけないことは、自分の歩んできた道というか、自分の思う型に人をはめては絶対にいけないということですね。このことは一般にも言われますが、個性の尊重、自主性の尊重ということが最も大事なんですね。親子や親しい間柄や、宗教の世界では、知らぬ間に自分の思いこんでいる通りを人にはめるということが多々あるんですね。
 時々話すことですが、自然界の樹木草花を見ていると、それぞれの個性のいのちの姿に感嘆しますよね。たんぽぽの花が百合やバラの花を見て、そうなろうとは決してしませんものね。たんぽぽに限らず、どの花もそれぞれ味わいがあって、花々というものの美しさがあるんですね。花というものが全部たんぽぽだらけだったら、妙味がありませんし、神のみ心を深く感じることは出来ませんでしょう。ましてや人間は、神様の個性化した光り輝く生命体なんですから、その本質は誰彼の区別なく皆尊いんですね。このことが徹底して全世界でなされていけば、地上天国の実現ということになるんですね。

(風韻誌2012年3月号収録分より抜粋)


   元海先生法話

  1. 講話集
  2. 巻頭言
  3. コスモス問答
  4. 音声